関心空間の糞袋

関心空間から移行した内容(当時の不完全な記録)

10:24 pm うまく言えないけど、

私という存在という自己が、そのことについて定義づけしたり客観の視点から語ったりするのはほぼできないことである。

いまのこの立場は、私という存在という自己、を作って来た過去の状況が生み出したもので、その事実は歴史的に無視はできない、すればこの立場は無いから。

探す、という行為は、探している者が、その探しているモノでは無いから可能なことである。

コンテンツにカネを払う人が減ればそのコンテンツは衰えていくのか?

そうだろう、と思う。

儲からない行為を、大多数の人が行うことは有り得ないから。

だけど、こういう今のような豊穣というのか玉石混濁というのか大量生産いやいや多品種大量生産というのか、そういう状況は有り得なくなるだろうけど、娯楽が無くなることも有り得ない。

問題は、今のような状況を生んだ土壌を体験してきて、「これならオレも喰ってゆく余地がある」と、それに乗っかって生計を立ててきている人々が、端から切り崩されていくことになるのだろう、ということではないか。

(2011.09.15. 11:08 pm に追記しました。↓)

※「卒業生の語る、朝鮮学校と厨ニ病http://togetter.com/li/188048」とか、「自炊代行バッシングと反ブックオフキャンペーンの類似──漫画家・佐藤秀峰の指摘http://togetter.com/li/186056」なんかを読んでて、ふっと形になりそうな気がして書いてみたのですが、うまく説明できなくってすみません。