関心空間の糞袋

関心空間から移行した内容(当時の不完全な記録)

10:04 pm まぁなんですなぁ、

祝、再開!・・・したチューネンおやじ向けマンガ誌のゲンパツ危険ネタ作品もそうだなあとオモタけど、媒体が各ギョーカイジャンルのハシッコであれ、公けに目にするトコロでヤッツケルことができるっていうのは、もう原告とその支持者にとっては煩くはあってもさほど痛くはない頃合いになっちまった、ってことだよなあ、と。

あと、カンケーないかもだが、じゃすらっくペケペケな時期にとある輸入CD屋チェーンが出してる紙媒体の広告ページに「オレはジャスラック派だよ、むつかしいことはわかんねーし音楽家は芸術に邁進したいしだから全部彼らに任せてるよ彼らはオレらの権利のために日夜働いてくれてるよ」なコメント付きで登場した、不条理マンガの登場動物に似ていると名高い某ミュージシャンが出てて、当時たいそう幻滅したのを想い出したよん。

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とりマリの「当事者対談」 マンガ家にもクールジャパンにひとこと言わせろ(とり・みきヤマザキマリ 、清野由美) :日経ビジネスオンライン

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 「ベルばら」はフランスでも大人気だった。○か×か?:日経ビジネスオンライン 2013年8月27日(火)

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 「クールジャパン=アニメ絵」という(ちょっと切ない)現実:日経ビジネスオンライン 2013年9月3日(火)

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 「映画『テルマエ』のヒットで、夫婦間が険悪になりました」:日経ビジネスオンライン 2013年9月10日(火)

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マリ:というわけで……今から大事な話をしましょう。

とり:え、ここで、いきなりですか。

マリ:そう。話をするわよ。

とり:例の『テルマエ・ロマエ』映画化の原作料の話ですね。

マリ:そう。実は私の発言で騒動になった直後、シカゴの自宅に突然、テルマエ・ロマエの担当編集者が全くのアポなしでいらしたのですが。

---- シカゴってアメリカの。

マリ:そうです。

---- それは熱血編集者の役回り、というものがあるんじゃないでしょうか。

とり:下北沢あたりに作家を訪ねる感覚で、アポなしでシカゴに来てしまったと。

---- 単純にすごいですね。

とり:でも、これ、いきなり自宅に押しかけたら、アメリカでは撃ち殺されても文句は言えないよね(笑)。

マリ:そうですね。彼の人となりはよく把握しているので一切悪気はなかったのは十分承知です。でもアポなしでいきなりやってきた編集者に対して、イタリア人の夫はすっかり怒ってしまいました。プライベート空間に侵入されたということで、いまだにその怒りは収まっていない。

 さらに、これがきっかけで、私がやっているマンガという仕事に対する不信感も、彼の中で増幅することになってしまい……。日本なら熱血編集者で通っても、外国だったらこんなリアクションはまったく通用しないですから。

マリ:この件については黙っているべきかとも思ったのですが、やはり家族との調和がそれですっかり乱れてしまった要因にもなったし、一連の著作権料問題で、一緒にマンガを生み出した編集者に対して、私が恩知らずな人間だと思われるのも不本意なので、お話ししておきたいと思ったんです。この担当氏とは、それまでは本当に信頼し合う良い関係だったということもあるので、私の動揺もちょっと尋常ではなかった。

とり:日本の昔気質の編集者からしたら、それは「どこが悪いんだ」ってことになるかもしれないし、まさに担当氏はそういうタイプの編集者だから……でも外国では通らないよね。

---- 日本だと「よくぞそこまで」と、熱血編集者の美談として受け止められるでしょう。正直言って、「なぜ怒るの?」という人が大半でしょうね。なかなか国内では通じないかもしれません。

マリ:だから、「これは不条理だ、黙っていられないことだ」と、判断できることがあったら、それは私が言う役目だと思ったんです。

 日本って、同じ部族、同じ村の中で仲良しグループに帰属していないと仲間外れにされるけど、私みたいに、もとから基準値を外れている人間の発言は、「言わせておけ」みたいに、治外法権的なところがあるじゃないですか。私は外国暮しが30年近くで、「ああ、あの人は半分外国人だから」と思われているふしもあるので、それを逆手に取ることもできますから。

---- それでは、改めて詳しくお聞かせ頂けますか。

※『テルマエ・ロマエ』映画化の原作料の話:2012年の邦画で興行収入第2位を記録した映画『テルマエ・ロマエ』は、興行収入が約60億円だったが、作者のヤマザキマリさんに支払われた原作料は約100万円だった。2013年2月下旬に、周囲からの「ヤマザキさんは映画のおかげで大金持ち」という勘違いを解くという目的で、ヤマザキさんがテレビ番組でその金額を明かしたところ、ネット上に、映画の製作サイドに対して「原作を買い叩きすぎだ」という批判の声が上がり、波紋を呼んだ。

マリ:まず公正を期するために、原作料が私に支払われた経緯をお伝えしておきます。映画化にあたって、私が契約を結んだのは、マンガの版元となった出版社で、映画の製作委員会ではありません。ネット上では、製作委員会を組織したフジテレビに批判が集中しましたが、フジテレビに低額に抑えられたという事実はありません。

---- 原作料の流れとしては、ヤマザキさんが映画化を許諾した相手は出版社、その出版社がフジテレビと映画化について契約した、ということですね。

マリ:そうです。

---- 原作料は、フジテレビから出版社に支払われたものが原資で、そこからヤマザキさんに100万円が支払われたということですね。

マリ:そうです。

---- このような契約の背景を補足しておきましょう。

※マンガを映画化する場合、マンガの原作者には「原作使用料」と、「興行収入をもとにした分配金(=印税)」の2種類が支払われる権利が生じます。

※日本では分配金ではなく、払い切りの原作使用料を支払われるケースが多く、その金額はおしなべて低めです。それは映画製作そのものの予算が少ないこととも関係しており、興行収入が見込めない場合は、むしろ払い切りの原作使用料の方が、原作者にメリットをもたらす場合もあります。

※また、払い切りの原作使用料の方式で、興行収入をもとにした分配金がナシの場合でも、DVDなどの分配金は支払われることが多く、『テルマエ・ロマエ』も、DVDの分配金は原作者に支払われます。

※低い原作使用料を出版社や原作者が受け入れる背景には、映画化による宣伝効果で原作が売れることを見込むから、という理由もあります。

---- ということは、慣例をかんがみても、契約自体に大きな瑕疵はない、ということではないでしょうか。

マリ:たしかにそうです。でもそこが、この問題を論じるにあたって、非常に難しく、かつ微妙なところなのです。

 原作使用料というものがどのような経緯で金額が設定されるのか、お願いしてもなかなか説明してもらえなかったので、内訳を詳しく知る権利は原作者にはないものなのかと思ってしまったのです。DVDについては、自宅に届いた明細書を自分で見ていて、不明瞭な記載の入金があったのでこれは何だろうと思い、弁護士から出版社に確認をしてもらって、そこで初めてそれがDVDの原作使用料であることが判明しました。

 ですから入金はされてはいるのですが、こちらから再三リクエストするまで明細を説明される事がなかったのです。

とり:僕もそうですけれども、基本的に多くのマンガ家は、単行本を出すときに、「この作品の映像化権というのは出版社に委託しますよ」というようなことが書かれた契約書を提示されているわけです。ただ日本では、その条項がどういうことか、あまり分からないまま、契約が進んでしまう。

 それはマンガ家側にも責任はあるんです。ただ、とくに新人の場合は「売れてもいないのに契約条項を変えるとか言い出すと、干されるのではないか」というような不安がつきまといます。

マリ:専門家でもなんでもない一介のマンガ家に、あの契約書の、「甲が」「乙が」って文章は読みこなせないですよ。これは私だけでなくて、多分みんなが、よく分からないまま、はいはいってサインしていると思う。

とり:正直、契約書の文言は理解しづらいですよね。でも、分からないものにサインするのはまずいんじゃないかと思って、分からないところを先方に聞くと、「いや、もう、マンガ家の方、ほとんど全員この条件でサインをしてるから。◎◎先生もみんなこれでやってるから」って、言われるとね。

---- それは、「こちらを信用して、サインしても大丈夫ですよ」という、出版者側の好意なわけですね。

とり:そうなんです。好意とまでは思わないけど(笑)、出版社だって、僕らの不利益を誘導しているわけでなく、むしろ「対外的な渉外のご面倒を減らして差し上げます」という面もあるんです。

 あとでお話しますが、エディター(編集者)やパブリッシャー(出版社)が、作家のエージェント(代理人)も代行するという、ちょっといびつな構造になっている。そこには欧米的なシビアな契約関係にはない、いい面もあったし、マンガ家のほうも楽だからそれに安住してきた。

マリ:◎◎先生も、とか言われたら、こっちも「あ、そうなんだ、そんなもんなのね」となるし。

とり:それでみんな、契約条項をろくに吟味しないまま、オーケーということになってしまいがち。もちろん、その契約条項がおかしいと思った場合は、申し出れば変えてはもらえるはずなんです。デフォルトの文面はやっぱり出版社有利に書いてあるので。でも、それは契約の素人のこちらは、なかなか分からないし、そもそもそういう申し出をすることに、さっきいったようにすごく大きな見えない圧力がある。特に、たいして売れてなかったり、締切でいつも迷惑をかけたりしているマンガ家の場合は(笑)。

マリ:「契約について、ちょっと持ち帰って協議したいんですけど」なんて言った日には、それだけで仕事が減るんじゃないか、みたいな雰囲気になってしまう。

---- ああ、このマンガ家、面倒くさそうな人だな、と思われて。

マリ:そういう、目に見えないプレッシャー、あうんの呼吸というか、あうんの圧力というのが、日本にはすごくありますよね。

とり:でも最近は「ここを直してください」って僕は言ってます。ただ問題なのは、その出版契約書って、いまだに単行本が出た後に送られてくることが多いんですよ。

マリ:そうです。本来、出版契約書って、単行本が出る前に、叩き台としてまず提示され、それをもとに両者で協議して作成するものじゃないですか。「自分としては、ここは納得がいかないので、この文章は一度改訂してください」という協議が、そこにはあってしかるべきなんです。海外であればどんな些細な契約事でもそういうやりとりが交わされるのは当然のこと。

 でも、現実、私たちにそのような契約書作成の手順は許されていない。単行本が出た後に、契約書が送られてきて、「サインしてください」というように決まっているわけです。

とり:さすがに大手の出版社で、権利関係に敏感なところは、ちょっと変わってきていますが、それでも日本の出版社の多くは、いまだにそういう状態です。

---- 一方でそこには、日本社会ならではの、暗黙の強い信頼関係、人間関係というものが反映されているのではないでしょうか。

とり:ある意味では、まったくその通りで、「他人は信用できない」という欧米の契約社会的な、きちきちの交渉をしなくても、日本では出版社と作家が仲良く同志的関係でやってこれた、という歴史があります。

---- 契約がきっちりしていれば、作家が利益を得られる、とも限りませんよね。

とり:出版社や映画会社が著作権を買い取って、作者にはまったく報酬や権利がなくなる、というのは、むしろ日本よりアメリカのほうが多いんじゃないかな。

マリ:ただ私の場合は、夫がイタリア人じゃないですか。欧米人というのは、契約関係が合理的に具体的に、きちんと記号化された状態で表明されていないと、納得しない人たちなんですよ。「雰囲気を読んで、なんとなくそう判断した」とか、「今までもなんとなくそういうもんだから言及しないんです」なんて道理は絶対にまかり通らない。

 それで、映画の『テルマエ・ロマエ』が大当たりしましたよ、興行収入が60億円ですよ、ということになったら、「きみにも莫大な分配金が入るよね」と考えるのが、向こうの感覚では普通なんです。

---- いや、イタリア人に限らず、私だって「原作者はすごく儲かったんだろうなー。興収60億円だったら、少なく見積もっても1億円くらいは行くだろうなー」と、羨ましく思っていました。

マリ:それ、今回、周りの大勢の人たちからそう思われて、本当につらかったんです。興収60億円という数字が、日本だけでなく、カナダでもアメリカでもイタリアでも公表されちゃいました、と。すると、夫も勤め先の大学の同僚から「すごいな、お前、次は妻の稼ぎで大豪邸を建てるの?」みたいなことを言われる。

マリ:うちの母もご近所の人に、「そんな車なんかに乗っていないで、お嬢さんにもっとステキな車を買ってもらったらいいじゃない?」なんて言われて、「あなた、あれは何とかならないの」とキれられました。

 だから私は、日本のテレビ事情をよく分かってもいない上に、テレビというもの自体をろくに見ないにもかかわらず、バラエティ番組に出て、「いや、100万円しかもらっていませんよ、映画で大金持ちになったわけではありません、どんな原作者もみんなきっとそうです」とあえて言うことによって、わずかながら日本の慣例の悪しき部分が阻止できるかな、と思った。

---- イタリア人の旦那さまには、どう説明したんですか。

マリ:私に支払われた原作料を伝えたら、「そんな大事な契約を家族にも相談せずに、しかも詳細もよくわかっていないまま受け入れるなんて、マリはクレージーだ。日本人はどうかしている」とさんざん言われて大げんかになって……今はなんとか回復しましたけど、一時期は本当にテルマエのヒットによって夫婦仲が信じられないくらい険悪になりました。夫だけじゃなく、夫の家族や、アメリカの夫の友人たちなど、周囲の外国人はみんな、私に対して同じような反応でしたよ。

---- クレージーというのは?

マリ:つまり、私は原作料について何の交渉もしないまま、目の前に差し出された出版契約書にサインしていたから。「どんなふうに契約したのか」と夫に問い詰められたときに、「何となくみんながやっているし、出版社のことも信用しているから、いつも通りそういうふうに私もやったし、今までもそうしてきていた」と伝えたんだけど、そういうのは彼らには通用しないんですよ。「バカじゃないのか!」って両手で顔を抑えて、さんざん私のやったことを批判されて。

---- 郷に入っては郷に従え、は理解されなかった。

マリ:ともかく当初の契約書に、内容を把握しきれないままサインしたのは私。その責任は私にあります。でも問題は、映画が大当たりして、事態が思わぬ方面にも広がって、いろいろ納得のいかないことが起こったときに、こういう分野の専門家である弁護士にお願いして「もう一度話し合いたい」と、私が出版社に申し出た、その後の出版社の対応なんです。

 今まで、そういうことを言う原作者がいなかったから、出版社側も動揺しちゃって「弁護士って何なんだ、そんな態度を原作者からとられたことがない。訴訟を起こすつもりなのか!?」と、硬化してしまったんです。

 その問題点がクリアにならないうちに、たとえば「『テルマエ・ロマエ』の続編のロケが、もう間もなく始まります」と、次の話がどんどん関係者の間で進んでいく。

 そういう物事の進み方が、合理主義者である欧米人にとっては、まったく理解できない。そして習慣や考え方の違う外国人の夫との間に深い溝ができてしまう。

とり:「トリイカ!」の「青春の怒りとカネ」でも書きましたが、ヤマザキさんは、金額を問題にしているんじゃないんですよね。ただ、原作者である自分が蚊帳の外に置かれたまま、巨額のお金が動く事業が勝手に進められる不条理に憤っているんだよね。僕は両者間の契約に関しては部外者だから、いっさい口を挟むつもりはありません。でもそういう事態が進行しているときに、作家が編集部や出版社に抱いてしまう「気持ち」はよく分かる。だから、そのことを中心に書いた。

 ただ、日本でこういうことを言うのは、すごくリスクが高い。正しいことを言っても、いや、むしろ正しいことを言ったがゆえに、仕事を干される可能性もある。ヤマザキさんはその危険を冒しても、マンガ家のために声を上げようと、そういう勇気をふるったわけです。そこは、僕は評価したい。

---- 日本で育つと、そこは二の足を踏みますよね。

とり:この問題の根深いところというのは、出版社の編集者も、いびつな構図に無自覚なところなんですね。編集者も悪気はまったくなく、むしろマンガのために、マンガ家のために、その宣伝のために、オレは頑張っているんだ、と思い込んでしまっているところなんですよ。

マリ:そう、編集者もマンガ家を搾取しようとかは全然思っていないのは分かる。家族の関係を崩壊させたいなんて事も考えていない。それは確かなわけですよ。

とり:編集者は基本、「マンガ家のためにやっている」と信じている。

---- それは、日本におけるマンガ家の育成が、編集者と切っても切れない関係の上でなされてきたからでしょうか。

とり:まさしくその通りで、昔からマンガ家あるいは小説家と編集者の関係には、疑似恋愛的な、どろどろした情みたいなものが、からんでいたんですよ。で、その関係性から生み出された優れた作品というのも、過去の歴史にはたくさんあったんです。

マリ:でも、マンガだって世界で翻訳されたりしてグローバルに流通する時代に、もうそれは通用しないですよ。うちみたいな国際結婚でマンガ家やってる人達だってもう何人かいるわけですし。

とり:この対談で話してきたように、シチリアとか、ルッカとかでも日本のマンガフェスティバルが開催されるような時代、しかもマンガがどんどん電子書籍化される時代に、オレとオマエは運命共同体、契約も何もツーカーでまかせろ、オマエは何も言うな、というのは、無理がある。

マリ:あり得ない。

とり:編集者の気持ちは分かるし、日本のそういうシステムすべてが悪だとは思わないけど、僕があのコラムを書いた後の、他のマンガ家さんの賛同リツイート数を見ても、もうそろそろ、それでは成り立たなくなってきている気がする。

(→白熱の主張、続きます)

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