関心空間の糞袋

関心空間から移行した内容(当時の不完全な記録)

7:15 pm ぼくのかんがえたさいきょうのせつめい

ある物質に、物理的な「変化」がみとめられたなら、そこには「時間」がある、といえるのではないか。

我々の種族がなぜこうも意識がてんでんばらばらなのか(この同族間でのすべての諍いは、結局のところそのことが原因なのではないか)、それは、「意識」というものが、「異なる時間の流れ」を意味しているからではないか。

「社会との協調性に長ける」ということは、つまり「物事の基準を自己ではなくその外に持つ」ということではないか。

「自分を見つめる」というが、閉じた容器の中を潜っていったところで、結局は底が見えて虚しく感じるだけなのではないか。

だがしかし、自己の外から取り入れる営みをただただ続けるだけでは、”積ん読”や”買って箱も開けてないプラモデルだけでいっぱいの部屋”と同じ、目的と手段を取り違えている行為、といえるのではないか。