関心空間の糞袋

関心空間から移行した内容(当時の不完全な記録)

2:23 pm 何これかっこいいw

158 餌(沖縄県) :2010/04/12(月) 10:16:40.06 id:c0KjkDXK

Ken(DJ)のことか

ザ・ドリフターズドリフターズ

1964年結成。ハードコア・ダブ・ユニットの先駆けとして60年代後半のアンダーグラウンドシーンを席巻。

1967年、方向性の違いからリーダーIkariaとギタリストYasushiOnoが対立。

Yasushiは当初メンバーだったG-Yoshidaらを引き抜き「ドンキーカルテット」を結成。

Ikariaは残ったChar(Dr.)、他バンドに在籍中のCo-G(G.)、Chu-Arai(Key.)、Boo(G.)らを誘い「ドリフターズ」としてユニットを再編。

69年にはビートルズの前座を務めるなど華々しい躍進を遂げ、72年のアルバム「Gather 8:00」、翌年の「Zoom-Doco Songs」でその地位を不動のものとした。

その一方で、以前からフロア志向を公言し、シカゴハウス・ムーブメントに強い関心を寄せていたChuがユニットから離れ、代替メンバーとしてDJ.Ken が起用される。

77年にはブリット・プログレッシブを強く意識した問題作「Die Back Show」を発表、以後レイブを中心に活動。

84年の東京レイブは、停電による暗闇の中での五時間に及ぶアンプラグド・インスト演奏で伝説のアクトとなった。

1985年、Ikariaは「全てをやり尽くした」と言い残しユニットの活動を一時停止。

以降は散発的にユニットとしての活動を続けながら、それぞれのソロ活動が目立つようになる。

DJ.KenとCharは「Cut&Ken」を結成、日本におけるノイズシーンを牽引。

ハワイアン・フォーク・サウンドに強く傾倒していたBooはCo-Gと共にアンプラグド作品を幾つか発表した。

リーダーIkariaは俳優業に転じ銀幕の舞台で活躍。

ハリウッド進出も果たし今後の活躍を期待されていたが、2004年に癌により死去。

ジャパニーズ・アンダーグラウンドの帝王と呼ばれた巨匠の死とともに、ドリフターズの40年の歴史にピリオドが打たれた。

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「元ビジュアル系バンドのボーカルKに抱かれ、殴られ、振り回されたズタボロのモデルSさんの日々:アルファルファモザイク」

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マジレスすると、これ(の『マリアについて』)を偶然読んだ時から、”feminism”(CDに付いてたステッカーがインパクトあったので、乗ってたスクーターに貼ってたことがwww)出したボーカルの人への印象は悪い。