関心空間の糞袋

関心空間から移行した内容(当時の不完全な記録)

11:24 pm 苦手

音楽家(ラジオ番組や雑誌みたいに”アーティスト”と呼ぶのに、まだどうしても嫌悪に近い違和感があって慣れないのだ)が販売している楽曲の、「ライブ・バージョン」っていうやつが、どうも聴いていて燃えない。だから、「ライブ・アルバム」も、私にとっては、存在価値の不明なものである(その音楽家について知ろうとするあまりのコレクター的なコンプリート精神(ナニをいってるのかワカラナイが...)でもって、12インチシングルなら忸怩たる想いで買ったことは、それでもある)。

音楽を聴くのは、高揚感を聴覚という外部入力から得るのが、私の場合の、目的である。

音楽(曲)とは、あえて分解するならば、メロディーとアレンジが一位二位を争っていて、歌詞(歌唱による)は三位以下で、しかもリズムとその地位を争っている、というか歌詞はリズムの範疇だとおもう、多くの場合において。

なかでも、今の(いや物心ついてからかもしれぬ)私にとって、その好みを左右するのは、アレンジ、しかない。

録音して編集して構築された楽曲、それこそが完成された完璧な状態の音楽。

・・・だから、グダグダな演奏状況のライブ録音など、なぜスタジオで完成された音源があるのに、そんなものを販売するのか、また、みなそれも喜んで聴くのか、まったく理解できなかった。

・・・長じて、自分が多少は興味のある分野の、だが知らない曲の、生演奏を目前で聴くまでは。

結局のところ、生演奏に感動(興奮、いや高揚)する理屈は、それが予想のつかない展開を与えてくれるから、だということだろう。